心技体という言葉があります。
技と体は稽古で自ずと出来てくるものです。
最近は心をどう作るか、保つかということの大切さを感じています。
八光流では【無邪気】に手を取るなど、無邪気という言葉が書籍の中に出てきます。
心の在り方として一つ無邪気ということは大切なことなのかなと思っています。
ともすると技や体が出来てくると心に奢りが出てくるものです。
人間は誰しもそのようなものはあって然るべきと思いますが、それが出てきた時に自分で気付き修正出来るかということが大切なんだろうと思います。
無邪気というのは八光流習いたての時ような無垢なただ直向きに稽古をする心の姿勢のようにも思います。
初心に帰るという言葉もありますが、一年の終わりにまた初心に帰って無邪気な気持ちで八光流に向き合うというのも良いものかなと思っています。